コロナ禍の「人権」を考える ~見えないことを知る~ シリーズ3 【女性の生きづらさを語る】6月26日(日) 講師:ルポライター 杉山春さん
オンライン講座開催報告 参加者 22名
シリーズ3回目は長年、児童虐待事件や自死問題について裁判を傍聴し、面会や手紙のやり取り等を通じ追い続けてきたルポライターの杉山春さんを迎えて実施しました。
「3つの虐待事件から」
児童虐待事件があると「残酷な鬼親」といった親を非難する報道があるが、杉山さんが事件(愛知県武豊町3歳児餓死事件(2000年)大阪市西区大阪二児置き去り死事件(2010年)厚木事件(2014年に発覚))を追っていくと、子育ては家族が担うべきという価値観の社会がこの親たちをそのように名づけているのであって、虐待をした「親」の背景には不遇な生育歴(いじめ体験なども含め)や暴力被害を積み重ね女性たちは性被害、若年出産等があり、そして過剰な頑張り(価値観に過剰に適応)の時期がある(どの親も一生懸命育てていた時期がある)また援助希求(SOS)が出せずに孤立、自ら援助から遠ざかっていき自分は「助けてもらえる価値があると思えない等、社会に不信感を抱きつつ、その規範に縛られている事実がわかった。
「家族単位で社会の一員とされた歴史」
長らく国が統治のために強いてきた家父長制、家族単位で社会の一員とされた歴史がある。戦後、家制度は廃止さたが、いまも「家」という意識は残り心理的支配や従属関係が続いていること、高度成長期には「男は仕事をして家族を養うべき、女は家事育児介護のケア役割」という性別役割分業が固定化され、その価値規範に過剰に従う姿がその「親」たちの中にみられた。
目黒区の事件(2018年),目黒事件でも、2019年1月でも、背景に家族という共同体で、弱い立場の者に力を行使するDVがあると指摘され、父親たちは正義感をもっており、他者をコントロールすることで、自分の存在を肯定していたと推測される。
「世界はあなたの場所であり、私の場所だ」
コロナ禍のなかにおいて「家族」との関係が密接になって苦しい、DVや性暴力が苛烈化した等顕在化した。
今や家族は様々な形があり一人ひとりの多様な生き方を認め、今なお社会にはびこる(家父長制や男女の役割意識といった)呪縛を断ち切って社会を作っていく必要がある、リアリティを前に応答して一緒に社会を作っていく、一緒に変わっていくことの重要性をはなされました。
******** ルポライター 杉山春さんの紹介 ********
著書
『満州女塾(1996年 新潮社)』、『ネグレクト 真奈ちゃんはなぜ死んだか(2004年 小学館文庫)』、『移民環流 南米から帰ってくる日系人たち(2008年 新潮社)』、『ルポ 虐待 大阪二児置き去り死事件(2013年 ちくま新書)』、『家族幻想 ひきこもりから問う(2016年 ちくま新書)』、『自死は、向き合える(2017年 岩波ブックレット)』、『児童虐待から考える(2017年 朝日新書)』
現在2018年目黒区、2019年野田市、札幌で起きた児童虐待事件について取材・執筆中
虐待、ひきこもり、自死の背後の家族という「制度」について気づく。2012年から14年まで生活保護家庭の高校生年齢以降の子ども若者の支援にも携わった。現在は、子どもの居場所づくりにも参加
******** 受講者感想 ********
・社会の側の責任や理解がとても大切だと思います。
・戦争の傷をまだ引きずっているというか、戦時中の考え方から脱却できていないんだなと思いました。
・個人が家族から縛られ、その家族も世間や国の政策によって縛られ、どう生きたいかとか、どうしたいかではなく、どう見られているか、役に立つとみられるかに主眼が置かれているという構造が見えた気がします。
・女性の生きづらさがテーマでしたが、子ども若者の生きづらさもお話の中にありました。現実の声を社会の中につないでいかなければならないと切に思います。家族と国家の関係についても、歴史的に教えていただけたのが良かったです。
・女性の地位が上がり、経済的にも不安がなくなるとき、子どもたちも元気に育つのではないでしょうか。